昭和48年 7月15日 特別奉修委員


 昨夜、夜の御祈念終わってもう下がりましてから、あの、えー、さとこもお広前に出てきておりましたが、咳き込んでもう昨日は非常にひどくて、もういっときばっかりそのたんがつまって息ができん、もう真っ青になってしまって。あれは人にあずけとけば( ? )こちらで御祈念させていただきましたら、この、耳偏に、この公を書いて心、これはだい、これが大体さとこのさとと読むんですね。ほいであの、御理解を頂いたら、えー、いわゆる聞き届けてくださったという意味ですね、さと、さとこのこと、さとこのことを聞き届けてくださったということで、だと思うんですけれども。それからまたあの、そのことをお礼申させてもらいよりましたら、あの神の願いと親の願いが一つになると頂きました。
 例えばあの、私の総という字をおくったのは、結局私の思い。ね、だからこれは大体さととは読まんのだけれども、さとと無理に読ませるわけなんです。これがあの親の思い。ね、そん時にあの御神米にお書き下げを頂いたのが、この公という字を一字頂いたんです。ほいで意味もまだよく分からなかったけれども、こうして頂いてみると、あの公の心、あの糸偏のこう公の心も、あのそうですし、あのいわゆるさとという耳偏に公に心も、やはり公っていう字がこう書いてありますし、だからこれは大きな意味合いでおかげを頂いていくということは、親の願いと神様の願いが一つになるようなおかげ、そんためには親がよっぽど信心を高めていかんと、これが、その、ぼ、その秋山さんじゃなかばってんね、凡上になるわけです。凡上にならんで、あの親の思いと、神様の思い、そこにあのおかげを頂いていく、本当のおかげを子供が頂いていく道が開けてくるように思うんですね。 だから、ん、今朝からそのさとこというのを、このふつうの聡という字です、いわゆる耳偏に、の、それを使わせて頂とるんですけどもね。これが、大体神様が聞き届けてくださった名前なんです、いうならばね。そんなことを頂きました。




池尻てるか